「作り手は自我を出すな」というnoteをちらっと読んだ。
○ちょっと分かる
昔、あるロックバンドのボーカルが急に熱心に政治運動を始めたとき、僕は正直「ズコーーーーッ!!」となった経験がある。
「それの何が悪い!」という人もいるし「パンクロックとかは元々反体制で政治的な要素は大いに含んでいたぞーー!」とか、そう言われると、はいその通りですスミマセン・・・なんだけど、僕個人としては何か冷めちゃうところがあった。
○程度の差だよね
発信する側の価値観をどれだけオープンにさらけ出すか、そして受け手側の許容範囲ーーそういったものが常に交錯するからトキトバで摩擦が生じたりして、荒れることもあるよねーーと。
これ即ち人類の営みでは!!
コンテンツだけが流れる清浄な世界に僕も住んでみたいけれど、結局モノ作っているのは人間だものね。あと作者にとって作品は我が子だから可愛がりたいのよねええええん!!そこで自我が出てくるんですよ!すまぬ!レイアちゃん可愛い!!ライラさん可愛く描けなくてごめん!!
○そもそも我があるから作るし発表する
我があるから作るし、見てもらいたいから発信するし。あと単純に「お金が必要だから・・・」という我もあるし。
多分、noteの筆者は人間の「臭み」に敏感なんだと思う。「それ以上の我を見せるのは俺が不愉快だからやめろ」ということなのだろう。自分も同人で「二次創作エロ堕ち」しているとはいえ、売れている神絵師さんに媚びへつらったり、過去ポストをタイムラインに再浮上させるために延々と「○○イイネありがとうございます!」と自分にリプ飛ばすのはイヤとか、そういった人の臭みに反応する時はある。
「ファボに感謝しているなら感謝しているというポストをすればいいだけで、わざわざセルフリプで再浮上させるってことはもっとインプレ伸ばしたい欲があるんだろ~~~?お?お?」みたいな、そういった欲望とか臭みに反応する自分はいるけれど、いるけれど!
・・・それを指摘するのも野暮でしょうって。でもnoteの著者のおかげで僕はブログのネタをいただいたので感謝してますm(_ _)m 嫌味とかではなく。自分の意見を発表できるって単純に凄いと思う。
○そもそも自分はなぜブログ書いてる?
個人HPをせっかく作ったし、SNSは荒れがちで集中して何かを表現しにくいから、個人の落ち着ける場所としてブログを書こうと思ったはず。
でも、CG集やパトロンで応援してくれる方々にとっては、このブログは余計なものかも?と思うこともあるけれど、単純に自分が書きたいし、読みたいし、最近そういう気分なだけなんだと思うし。引き籠もりでコミュニケーション不足だし内側に何かしらが溜まっているのだと思う。
○ブログを書くと背伸びしている自分に気付ける
ブログを書いているとき、少し背伸びしたくなる、格好付けたことを書きたくなることがあって何度も自我を消す(消臭作業と呼んでいるw)んだけど、そこで気付くのが「あー理想としては自分はこういう人間になりたかったんだな」と自分を再確認できる。
まぁ再確認したところで「だからどうなんだ」と言われたら「知らね~~~!!」なんだけど。最近何でもかんでもコスパタムパで最適化されて、インフルエンサーの定型文みたいな「それ意味あるんすか?」で返す風潮があるけれど、読書家は読みたいから読んでるだけだというように、何か書きたいし、読みたいし、あわよくばポジティブな反応だけもらいたいんだと思う。もちろん貶されたら腹が立つけれど、それでも今は書きたい気分なんだと思う
以上長々と書いてしまった!でも楽しかった(^o^)ここまで読んでくれてありがとう!
ちなみに自我を出すな問題についての解決案はこの人が歌ってます↓
■山中さわお / その世界はキミのものだ